六、人と魚の血の違い
「さかなの血だとう? 嘘をつくんじゃないよ。人と魚の血の違いぐらい、私らぁ専門家だから、すぐ分かるんだ。魚のは真っ赤でさらっとしてるが、人のはどろりとしてるんだよっ」
斉藤少年の濃厚な鼻血がたっぷり現場に飛び散っていたため、刑事はそちらを捉えて反論した。
「嘘じゃないって。信じて下さいよ」
警察署に連行された高泉は、ぐったりイスに身を預けながら言った。
さすがは専門家。暴力団員でも通り魔でもないことはすぐ見抜いた。しかし、いちおう傷害容疑で取り調べとなったのである。
「消防隊員や運転手が言ってるナイフの血も、魚の血だっていうのか? そんな血を抜いていない魚、どこで買ったっていうんだ」
「釣ったんだってば。それをナイフでさばいていたのぉ! あっ、痛てて。刑事さん、先に医者呼んでくれよ。胸もそうだが、右手、ちょっと動かしただけで痛くて・・・」
「今、ここまで来てくれる整形医を捜しているところだ。もうちっと待ってな」
「待ってられないよう! 賽銭泥棒の小僧と同じ医者でいいからさ、たのむよ」
「賽銭泥棒? なに言ってるんだ。斉藤君はまじめな少年だそうだ。消防署の西山隊員も保証している。だいたいなあ、斉藤君は病院で検査中だ。あんたがナイフで刺したかどうかもすぐ分かる」
「えっ? 俺がナイフで刺した? 冗談じゃない。そんなこと絶対ないっ!・・・ んっ? 待てよ、さっき刑事さんは、人と魚の血ぐらい簡単に見分けつくって言ってましたよね。だったら、ナイフをチェックしてみて下さいよ。魚の血しかついていないはずだから」
「ナイフは今、探しているところだ」
「えっ? 運転手や消防隊員がナイフを見たって、刑事さん言ったじゃない」
「それが見当たらないので、探しているところだ」
「ちぇっ。小僧の検査が終わるか、ナイフが見つかるまで待ってろということか。まいったなあー。あ、イタタタ・・・」気が抜けるほど痛みは増し、痛みが増すほど気が抜ける。
「肋骨にひびが入って、腕は少し腱でも痛めたんだろうな。命には影響ないよ。私ら、血の嗅ぎ分けだけじゃなく、その辺の心得もある。安心しなさい」やや粗暴だがベテランとなるにつれ情も深まりつつある刑事。すっかり気が抜けた高泉に、少し心をつかい出した。
トゥルルルル、トゥルルルル。内線電話が鳴った。
「ああ。なるほど・・・。ありがとう」刑事は表情も変えずに応対し電話を切った。
「ナイフで刺した疑いは晴れたよ。倒れた時に出した鼻血以外、斉藤君の怪我はないそうだ。ナイフも見つかった。人の血じゃないらしい。疑って悪かった」
「ふうーっ・・・ 良かった。じゃ、あとは医者が来るまで待たしてもらうわ」高泉はやっと安心した。
「そうだな。ここで医者を待っていな。ま、それまで、斉藤君の鼻血のこと、もう少しだけ聞かせてもらうよ。銃刀法の件は後日でいい。ただし、身元確認できてからだけどね」
「あ? どういうこったい。まだ何かあるのかい」
「なぜ斉藤君を倒したかその理由についてね。念のため」
「小僧が俺をどついて逃げようとしたからさ。ほら、さっき刑事さんが言った肋骨のひび。あいつに体当たりされたのが原因だ」
トゥルルルル。また内線電話が鳴った。
「あ、親方ですか・・・。はい、はい。あ、そうですか。はい。わかりました。わざわざご連絡ありがとうございました」刑事は受話器を置いた。
「斉藤君が気を取り戻した。先に体当たりしたのは自分だったと認めたそうだ。病院へ駆けつけた親方が今電話をくれたよ」
「親方って、誰だい?」
「斉藤君が所属している相撲部屋の親方だよ」
「そうか、あいつ相撲とりか! どうりで猪ぶたのように体当たりしてきたわけだ」
「あとはせいぜい過剰防衛かどうかだ。が、あなたの怪我のほうがずっと重いようだから、それも立件しないことにしますよ」
「なんだよお。泥棒はあいつのほうだぞ。そっちの容疑は調べてくれないんですか?」
「斉藤君の真面目さ、親方も保証している。お祈りの前に賽銭を入れようと手を伸ばしたところだったそうだ。賽銭泥棒なんてのは、あなたの思い違いだよ」
「え、そうなの? あんな子供が祠にお祈り? 本当かなあ。だいたい、なんのために・・・。なんか子供にも効くご利益でもあるんかい、刑事さん?」
「私は知らないよ。だいたい、自分があそこの管理人と主張するんなら、ご利益はあなたのほうから説明してくれなきゃ困る」
「あー、ちょっと引き継ぎが悪くてね・・・」
散々言い合った高泉は落ちついた。刑事のほうも改めて丁寧に腕の具合をみてやった。
コンコン。ドアをノックする音がした。「失礼します!」と大きな声が聞こえた。
「あへっ!」高泉は悲鳴にも似た声を出した。現場で腕をねじ上げた消防隊員が、ドアを勢いよく開けて入ったきたのである。
「さきほどは、申し訳ありませんでした! 私の判断ミスでした」西山隊員は帽子を取って最敬礼で謝罪した。
「西山さん。もう大丈夫だよ。この人には、さっき私が説明しておいたから・・・。で、わざわざ詫びに出向いてくれたのかい?」
「ええ。それに、ここまで来てくれる医者が見つからないと聞いたので、病院へ送ってさしあげようと思いまして・・・」
「あ、それはご苦労さん。バトンタッチするよ。あと、よろしく」
ベテラン刑事は西山隊員に引き継いだ。そして、立ち上がりながら、ポンと軽く高泉の肩を叩いて言った。
「じゃあな、高泉さん。悪く思わんでくれよ。これが私の職務なのだから。なんのご利益か知らんが、暇を見つけて、今度はお参りにいくよ」
「はあ、うん・・・ ほいじゃあ、そん時は、お賽銭忘れないでね」
「ああ。その代わりナイフで脅すなよ。これでも拳銃持ってるからな」刑事はニヤリとして去っていった。
「イタタタッ。おい、もっと静かにやってくれよ。だいたい、痛めつけられた相手に応急処置されるなんてえ、ふざけた話だ!」まだすっきりしない高泉は、恨みがましく言った。
「はい、はい。すみません。何度でも詫びますから、しばらく辛抱して下さい」
相手の不愉快な顔など気にせず、西山隊員は三角巾を使ってテキパキと処置をし、高泉を警察署から病院へ搬送した。
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