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「寺と風呂屋と謎の観音」  フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


七、幽霊病院に弱小部屋

 消防署のバンで西山隊員が搬送してくれた病院は、崩落寺と同じ産業道路に沿っていた。

「これ、ほんとに病院? 医院じゃないの?」

 取り壊し寸前の貸しビルといった外見を観て、高泉は愚痴半分で訊いた。

「これでも準総合病院です」

「え? そんな病院分類あるんかいな・・・。で、肝心な技術のほうは大丈夫なのかね?」

「救急指定ではありませんが、うちもちょくちょく世話になってます。院長じきじきに診て頂くようお願いしますね」

 一応は靴のまま入ることができる待合室兼用の玄関ホールだが、狭い。やはり大きな医院と呼んだほうが理解しやすい。

「あ、西山さん。斉藤君は親方と一緒に帰りましたよ」受付の小窓ごしに女性事務員が声をかけた。

「そうですか。でも、斉藤君を訪ねてきたのではなく、この人を院長に診て頂きたくて」

「じゃ、院長へ連絡しますから、先に保険証を預かりますね」事務員が高泉を見た。

「保険証なんて、今、持ってないよ」

「では、とりあえず名前と住所、書いて下さい。あ、ご免なさい。その腕じゃ無理ですね。西山さん、代わりに書いてあげてちょうだい」

「はい。えーと、『こうせん』さんでしたね。どういう字ですか?」

「高い泉だよ」

「それから?」

「立行。『立って行く』だよ」

「高泉立行 ?! 位の高いお坊さんのような名前ですねえ。住所は、崩落寺なら署の向かいだから、たしか五番七号ですね」西山隊員は几帳面な字で記入した。

 受付を済ませ、高泉は待ち合いベンチに腰を掛けた。西山隊員がつけてくれた三角巾が効を奏し、激痛は走らなくなっていた。そのぶん、恨みも薄らいできた。

「西山さん。もう帰ってもいいぜ」

ベンチの脇に礼儀正しく立っている西山隊員を見あげて、高泉は言った。

「いいえ。院長にご紹介するまで付き添います」

「そう。 じゃ、せめて座ってよ。そんなにきちっと立っていられても困るから」

「かしこまりました。座ります。では!」

 西山隊員は背筋を伸ばしてベンチに腰掛けた。

「あんた、随分、きちっとしているねえ」

「人の命を預かる消防官の基本は、マナーや礼儀と心得えますから」

「そう。それはいいことだ」高泉は感心した。

「じゃ、礼儀を大事にするということは、崩落寺とも以前お付き合いがあったのかい?」

「と言いますと?」

「いやなに。そのう、寺に何かを奉納するとかさあ」

「いいえ。署には神棚がありますので。正式な神道のが。それに・・・」

 西山隊員は急に歯切れが悪くなった。なにか気をつかい出したようである。

「それに、どうしたの?」高泉は説明を催促した。

「ちょっと言いづらいのですが、そのう、崩落寺さんの本堂に立像がありますよね」

「あるよ。で?」

「あの立像。火炎大神と呼ばれていまして。管理人さんとしては当然ご存じのことと思いますが」

「引継ぎが悪くて、よく知らないんだ。教えてくれよ」

「火炎大神は、仏の守り神なのですが、仏に迫る不浄の世界を焼き払って浄化するという云われがあって。そのため、昔からお付き合いを避けてきた次第です。なにしろ大正時代には、不浄な行為で本堂をさんざん(けが)した住職が病死したのをいい機会と、本堂を焼き払ってしまったとのことです。御仏の座像と、仏壇と、大神自身を除いて・・・」

「へえーっ? そりゃたいして精緻な火炎放射能力だ。でもさあ、不浄という前提ならば、そんな世界、焼き払らわれても仕方ないんじゃないの?」

「いいえ。お言葉ですが、消防署はたとえ犯罪者の家が火災になろうと、消火や救助に行く立場です。だから崩落寺との公式なお付き合いはやっぱり・・・」

「ふむ。ま、お月さまの光も、善人だろうと悪人だろうと優しく照らす。消防署の活動も月光と同じというわけか・・・」高泉はそれなりに納得した。

「お名前もさることながら、おっしゃることも高僧のようですねえ。管理専門に就任されたとは思えなくなってきましたよ」

「なあに、管理だけで充分。ところで、西山さん、ついでに教えて欲しいんだけど。その火炎大神が守っている仏像は、どんなご利益があるの?」

「いやあ、私にはよく分かりませんねえ。悟りを開いたお釈迦様が仏像になっているのだから、特定テーマを扱うのではなく、森羅万象が対象なのでは?」

「言われてみればそうかもしれんなあ。まずはテーマA、次はテーマB、その次はテーマCと個々の理解をした後に体系化した結果が『悟り』、とするのもヘンだし」

「論理的な面もお持ちなのですねえ」

「ん、まあね。大学のとき勉強したから。ところで、斉藤君って言ったっけ。西山さん、あの少年と親しいみたいだね」

「はい。斉藤のいる部屋と署の懇親会がありまして。正月に近所の子供を集めて合同餅つき会をしたりとか、防災イベントで相撲大会してもらったりとかして、一役買ってもらっています」

「ふーん・・・ こんな大都会でもそんなことするの」

「下町だったからでしょうねえ」

「寺の周りはちっとも下町って感じはしないがなあ」

「江戸時代や明治・大正は、深川にも近いということで、けっこう風情があったようですよ。あ、院長」

 そこへ西山隊員が院長と呼ぶ人物が現れた。百歳過ぎと紹介されても信じることができるほどのお爺さんだ。

(これでも現役?・・・) 高泉はたじろいだ。

 院長の誘導と西山隊員の付き添いで、高泉は二階にあがった。

 エレベーターはあるものの一台きりで定期点検中だった。階段しか手段はない。

「うんしょ、うんしょ」と声を出して昇る院長。まるで亀の坂登り。一日かけても登れるのだろうか? 高泉は仕方なくそのスピードに合わせてちんたら登った。

「本官がすっかり迷惑を掛けた方なので、院長、くれぐれもよろしくお願い致します」西山隊員は最敬礼をして診察室から立ち去った。

「こりゃあ、かなり傷めてるぞう。ふえっ、ふえっ」

 スターウォーズのエピソード5で、CGではなくマペット技術を駆使して演じるヨーダのような愛嬌の院長。声まで似ている感じだ。

「まさか、入院っていうわけじゃないでしょう?」

「したけりゃしてもいいが、帰ってもかまわんよ。ふえっ、ふえっ」

「良かった。入院費どころか治療費も出せないかもしれんからな。あ、でも俺が出すのも変な話だなあ・・・」

「いつもお客さんを送り込んでくれる消防署と坂上部屋だ。ただにしておくよ」

「そう。あんがとさん」とりあえず高泉は礼を言った。

「どういたしまして」そう言ってから院長は少し黙りこくった。そして、ぎょろりと目をむき、謎めいた声で言った。

「その代わりにな。治った後でいいから、この病院のお祓いをしてくれ」

「お祓い? 俺は管理人で、坊主でも神主でもないんですよ」

「なんじゃ、そうなのか。残念!」

「お祓いだなんて、幽霊でも出るのかよ、この病院」

「あたりぃ。今までここで死んだ数だけ、わんさか出るんじゃ」

「本当かいな。まあ、こうボロい、あ、ごめん、こう古い病院じゃあ、出ても不思議じゃない気がするけど・・・」

「ふえっ。冗談じゃ、幽霊話はな。たくさん死んだのは事実じゃが。ま、病院っていうのは、そういったところじゃ」

 年齢のわりに口数が多い院長だったが、老練の腕前。三人も従えている看護師に手伝いもさせず、階段亀登りが嘘のようにテキパキと処置をしていった。

「これで終わりじゃ。二、三日以内にまた来なさい。そのあいだ、胸のテープは外すんじゃないぞ。右手も動かさんようにな」

「ええーっ? それじゃあ、何もできないじゃない。このくそ暑いのに風呂にも入れない・・・」

 その時、診療室の入り口に五十も半ばの男性が立った。高泉よりも背が低いが、身体はガッチリしている。開襟シャツに背広姿だ。

「おや、また来たのかね。斉藤君の具合、悪いのかい?」院長は声を掛けた。

「おかげさまで斉藤は大丈夫です。今、消防署の西山さんから、こちらに高泉さんがおられると聞きましてね」

 それは坂上部屋の親方だった。

「高泉さんでいらっしゃいますね?」

 相撲というごっつい格闘技の経験者というよりは、高級ホテルの支配人のようなエレガントな物腰で、親方は高泉の前に回りこんだ。

「このたびはうちの斉藤がご迷惑を掛けまして。申し訳ありません。彼もまだ子供なので、パニックになったようです」親方は丁重に頭を下げた。

「え、まあ・・・」高泉はすっきりしない受け答えをした。

「いや、賽銭泥棒のお疑いはごもっともかもしれませんが、私が保証致しましすので、どうか信じてやって下さい」親方はまた頭を下げた。

「斉藤ほど真面目なやつは今どき珍しいほどです。ただ、子猫のように気が小さく、それもあってパニックに」

(けっ! 子猫が猪ぶたの突進をしたわけか)

 心の中で悪態をつき気が晴れた高泉は「ええ、分かりました。そいじゃあ」と言いながら診察台から立ち上がった。

「よければ私に送らせて下さい。ついでに、うちの部屋にもお寄り頂ければ」

「車、あるんですか?」

「いいえ。タクシーで」

「じゃ、いいですよ。歩いて帰れそうだし」

「そうですか。できれば部屋にお立ち寄り頂いて、そのぉ、お怪我の件の話し合いを・・・」

「院長がただにしてくれるそうなので、別にいいですよ」

「いえ、診察代のことではなく、お詫びの額について」親方はもじもじした。

「いやあ、面倒だから結構ですよ」良きにつけ悪しきにつけ俗世間への関心が薄らいでいた高泉は断った。

「ですが、警察署で、弁護士さんへご連絡されたとも聞きまして」親方は上目づかいに高泉を見た。

「ああ、あれね。あれは、刑事が身元を疑っているから、遺産相続の手続きしてくれた弁護士の事務所に電話してもらったんですよ」

「そうですかぁ・・・」親方は安心したというより気が抜けたというような声を出した。

「いやあ、斉藤君から受けた傷よりも、消防署の西山さんがひねってくれた腕。利き手なのでこっちのほうが困っちゃいますよ。これじゃあ風呂で身体洗えないしね」

「風呂、風呂っていうが、身体を洗わなくても人間、死にゃあせんぞ。ただ臭くなるだけだ。ふえっ!」

 院長が口を挟んだ。

「もし、次回の診察で悪臭を放っていても、わしなら構わんぞ。鼻がばかになっているからな。ま、若い看護婦はかわいそうじゃから、近づかんよう指示しとくが」院長はいたずらっぽい視線を看護師たちへ向けた。

「いやいや、やはりお困りでしょう。お食事も不自由だろうし。どうでしょう、高泉さん。治るまでうちの部屋に滞在しては?」

「いやあ、別に私はお相撲のファンじゃないので」高泉は引いた。

「えー、そういう意味ではなく、お泊り頂ければ、身の回りのお世話を若い者にやらせますから。お風呂とかも不自由しないですみますよ」

「いやはや、関取に付き人みたいな。うらやましいわな。ふえっ」院長はまた口出しした。

「好意は受けたらどうじゃい。臭い身体じゃ、やっぱり診てやらんことにするぞ」

(ただにするからと言って、つけあがってやがるんだな、このう!)

 高泉は例によって心の中で悪態をつきながらも、答えを出せないままでいた。

「院長がおっしゃる通り、関取みたいにしますよ。うちは今じゃ弱小ですが、個室は残してありましてね。そこ、遊んでいるから、使ってやって下さい」

「でも、その関取とやらが生まれたら、どうすんですかあ」

 泊めてもらえるのは個室らしい。それで気が傾いてきた高泉。欲目が出てきたぶん、急に気をつかい出した。

「心配無用ですよ。そんなにすぐ関取り生まれることはありませんから。ましてや一、二週間ならその気配すら起きないでしょう」親方はため息混じりに言った。

「そんな弱気じゃ困りますよ。これでもわしは、あんたのお父さんの代から応援しているんじゃから。復興するまでわしも死ねんぞい」

「これだけは、いい人材が確保できなくてはねえ・・・」また親方はため息をついた。

 高泉よりも背は低いものの、一般人よりは大きな身体の親方が肩を落としている。大きな身体の人間が肩を落としているのは、身長の落差も大きい分、一層落胆しているように見える。

 元気のない親方を見ているうちに、高泉の心に、出せなかった答えが浮かんできた。

「では、お言葉に甘えて、しばらくお世話になりますよ」

「おお、そうですかあ! よかった。それではさっそくお連れしましょう。タクシー捕まえておきますから、ゆっくりと降りてきて下さい」親方は診察室を出て行った。

「ほんじゃ、院長。また来週。よろしくな」

「『また来週?』 なんだかテレビの番組みたいじゃな。風呂、入ってこいよ。洗濯した服、着てこいよ。そしたら、看護婦にも応対させてやるからな。ふえっ!」

 これが若い医者だったらセクハラで訴えられるところだ。が、高齢な院長の役得。看護師たちも気にしていない。米粒ほどの色気が残っていた高泉は、ひとり気恥ずかしく診察室を出て行った。

<次の章へ続く>

 
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2006年10月20日

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