二十二、カルフォルニア・ボーイ
「ここに署名を・・・」
宗教法人高尚会の経営企画部長、秋山青年は契約書の署名欄を指差した。
「うん。三文印だけどね。ほい、と」高泉は署名捺印した。
「では、よろしくお願い致します」
秋山青年はすっと立ち上がった。今日もまた別のスーツが似合っていた。いつものように夏の暑さなど気にかけず、タイトなワイシャツとネクタイである。だが、さすがに強い陽光のせいか、サングラスを掛けていた。レンズはブルーのミラー仕様で、スポーティなデザインである。
先日、正式な計測を行い、ブロック塀の位置と境界線と照合した。やはり秋山青年の言う通り、塀は、崩落寺寄りにズレていた。
秋山青年が正直に伝えてこなければ知らなかったことだし、何か実害が発生しているわけでもない。とはいえ、土地を で譲る気もない。これが高泉の腹だ。
かたや秋山青年は、少しズレただけの土地を買い取る気はない。借地料を払う気もない。かと言って、ブロック塀を境界線に合わせて建て直す経費は惜しい。
そこで秋山青年は、墓所の巡回業務を発注するという妥協案を打ち出した。巡回の頻度については協議を重ねたが、時給の設定はすんなり合意した。秋山青年がパートタイム警備員の相場を調べ、資料とともに提示したからである。提示された側の高泉は、夜間警備員のバイトをした経験からも、額の妥当性を理解できた。
結果、二日に一回、巡回することに決まった。巡回時間は、支払い上、一回一時間とみなす。実際には三十分程度だろうが、いわば危険料込み。加えてブロック塀の突出料も考慮し、一時間とみなすことに落ち着いた。料金は毎月へ振り込む。坐像と立像の文化財申請が通ったこともあって、地下鉄付近の郵便局に口座が設けてあった。
本日は、以上に関する契約調印式であった。といっても、出席者は秋山青年と高泉の二人きり。ファンファーレはせいぜいカラスの鳴き声といったところだ。
「ところで高泉さん。その格好、すごいですね」
交わしたばかりの契約書に、身だしなみの条項が抜けていることに気づき、秋山青年は言った。
「ああ、この髪の毛と髭ね」
ずいぶんと長く理髪店に行っていない高泉の髪は、肩に届かんばかり。髭は顎までびっしりはえていた。
「威圧感がありますねえ」
「へえ、そう?」
「それにサングラスを掛ければ、カリフォルニアの暴走族かハードロックバンドのボディガードですね」
「なんか格好よさそうじゃん。なら、そのサングラスちょっと貸してみて」
秋山青年はサングラスを外し高泉に手渡した。ただでさえ長髪と顔面中の髭で顔立ちが国籍不明になりかかっている。それに加え、大きなフレームのサングラス、ミラー仕様。たしかに、カリフォルニアの暴走族かボディガードに見えても不思議じゃない。秋山青年は自分の予想が当たったことで、自分のファッション眼力を確認した。だが、この眼力による物の見方は一秒も続かなかった。すぐに宗教法人の経営企画部長というビジネス眼力へと切り替わり、このままでは単なる不審者に思われてしまう可能性を懸念した。
「うちに余った僧服がありますから、墓所を巡回する時には、それを着ることにして下さい。契約書には書いてありませんが」
「ん? まあ・・・」高泉は一応は理解を示したものの、すんなりは受け入れなかった。
「それに、崩落寺の境内にいる時だって、その格好じゃ、お賽銭の伸びに差し支えますよ。やっぱり、寺というテーマにあったコスチュームでなければ・・・。お貸しする僧服、普段から着てもいいですから」
「分かったよ。少なくとも墓地を巡回する時は、借りた服を着ること、約束する」
「お願いします」
「でも、加えてこの髪も切れ、というわけじゃないよね? いや、好きで伸ばしているわけじゃないから、切ること自体は構わんのだが。散髪代がもったいなくてさあ」
「威圧感があって、警備上は効果的かもしれないから、そのままででもいいですよ。服だけ、お貸ししたのを着て下さい。サイズが小さいかもしれませんけど、ダボダボしたデザインなので、どうにか着れるでしょう」
「ダボダボしたデザインって、まさか袈裟じゃないよね」
「まだ僕も正式な名称は知らないのですが、袈裟じゃなくて、一種の作業服です」
寺に住み込む管理人としての自覚はすでに確立されていた。あとはこの職務をどう呼ぶかである。もし風情をもって呼ぶなら『寺男』。しかし、ジャージや短パンにTシャツ姿ではそうは呼べない。だが、秋山青年が貸与する作業服を着さえすれば、そう呼べよう。ただし、髭とロングヘアーとなるが、宗教の教祖がそうした風体という事例はよくあることからして、ミスマッチとも言い切れない。
翌日、さっそく、宅配便が届いた。さすが秋山青年。一社必ず一名以上、と言っても過言でないほど蔓延し、我が国の会社経営を撹乱させているボンクラ取締役とは大違いである。同封の手紙には、「紫外線で目を痛めても困るでしょうから」との一筆があり、頑丈なデザインのサングラスまで入っていた。
やや薄めの綿で、上下が分かれている。下半身用はだっぽりとしたパンツのようなもの。上半身用は羽織の一種と言えるのだろうが、実際には腰までしかない浴衣のようなもの。体を締め付けるデザイン要素は一切ない。この楽ちんさ加減は、夏用の和風ジャージを入手したも同然である。
(想像したより楽だな。肩がこらなくていいかもしれん)
肩が凝るほど繊細ではないくせに、作業服を着てみた高泉は、一応そう表現した。
それにしても、引き続きレスラー体格に長髪、もじゃら髭。ユニークな寺男の出現だ。これで崩落寺の賽銭がどれだけ伸びるか不明だが、高尚寺の離れ墓所にとっては防犯上、大貢献である。
二 日に一回、三十分程度の巡回。高泉はさっそく初回をやり遂げた。


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