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「寺と風呂屋と謎の観音」  フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


二十八、火力一筋

「それで?」ハゼ狙いの釣り糸を垂れながら、高橋さんは訊いた。

「星乃湯がとりあえず一ヶ月延ばすことで、その場は収まったんだけどね。まあ、先に延ばしても、いずれはたたむことになるのかなあ」高泉は溜息まじりに答えた。

「一ヶ月延ばすというのは、廃業する時期をかい?」

「いや、廃業するかどうかの意思決定だけ。実際の廃業時期は、意思決定の後に検討するとさ」

「そう。ならば、じわじわ来てるんじゃないのかねえ。財務諸表を見せてもらったわけじゃないから、なんとも言えないけれど」元教育部長の高橋さんとしては、経営上の数値を見ない限り判断はできないようだ。

「星乃湯の主人、落ち着いていたんでしょ。突発的にやってきた経営危機なら、落ち着いてはいられないだろうし。けっこう前から、じわじわ来ていたんだよ。まあ、今すぐに廃業する必要もないが、続けていく気力もない。そんな状態じゃないのかねえ」

「なんだか、番付が徐々に落ちていくベテラン相撲取りみたいだな」坂上部屋との関係が深まる高泉が、喩えを言った。

「経営者自身の年齢を考慮すれば、そうした喩えも言えてるね」次々と掛かるハゼに対処しながら、高橋さんは言った。

 いずれにしても、高橋宅には風呂がある。銭湯は他人事だ。しかし、高泉はそうはいかない。商店街の人たちと同様、星乃湯が頼りだ。高泉は、次々と掛かるハゼに喜ぶこともなく、うつろであった。

 せっかく大漁だというのに相棒がこんな状態。高橋さんは少しつまらなくなった。だが、大人だから顔に出したりしない。

「おつまみには、これで充分だね」高橋さんは言った。おつまみとは、二人の間ですっかり定番となったハゼの丸焼きのことである。最近は、高橋さんの奥さんが特製のタレまで作ってくれる。

 二人は道具を片付け、午後遅くの崩落寺へと戻った。高橋さんは大漁のハゼを手際よく片っ端からさばいた。高泉は裏小屋から、また坂上部屋からもらった一升瓶を持ってきて、二つのアルミコップへ黙々と注いだ。

「はいよ」

 まだハゼをさばき終えていない高橋さんにコップを渡し、高泉は先に飲み始めた。

「ほれ、準備終わったよ。火、まだなの?」

「ん? ああ、忘れてた・・・」高泉は火を起こし、また黙って酒を飲んだ。

「よほど、星乃湯が心配なんだね」

「ん? ああ・・・」と言って高泉は酒を飲み続けた。いつもよりペースが速いのは、高橋さんの目から見ても明らかだった。

「うーむ」高橋さんもいよいよ考え込んだ。

 火が回ってきた。黙ってハゼにタレをつけ、網へ乗せ始めた。あたりには醤油ダレのおいしそうな煙が漂った。

「客が多い時と少ない時の差に対処するのが大変、と星乃湯は言ってたんだよね」しばらく黙っていた高橋さんは確認した。

「ああ、そう言ってたよ。それが何か?」高泉はハイペースの酒を一時停止した。

「いやね。それはつまり、お湯を沸かすために必要なエネルギーの、大幅な差への対処のことでしょ」高橋さんは言い換えた。

「そうだね。そのギャップに、星乃湯も苦慮しているみたいだった」こげたハゼをかじりながら高泉は答えた。

「銭湯に限らず、装置産業は皆、安定経営のために計画経営をしたいところだろうが。実際には消費動向は変動するからそうもいかず、苦労しているわけだ。星乃湯の課題も、発生して当然だろうねえ」

「そういえば、星乃湯のおやじさんも、装置という用語を繰り返していたなあ」

「エネルギーの大幅な増減が大前提の業態。長いこと銭湯やっているのだから、おやじさんもその辺は充分理解の上だと思うが」高橋さんは少し頭をかしげた。

「先細りしていくんで、精神的に疲れてきたんじゃないかなあ。まあ、おやじさんの肩を持ったところで、俺たち風呂なし立場の問題は解決できないが・・・」

「うーむ。なにもサラリーマンだけじゃなく、自営業者だって、定年というか引退というか、潮時がいずれ来るからね」

「そうだねえ。死ぬ寸前まで働く人もいるだろうけど、ほんの僅かだろうからねえ」

会話を進めるうちに高橋さんも引き込まれ、高泉と一緒に溜息をついた。

「それにしても、電力需要の話にも似ているねえ」高橋さんは言った。

「電力と銭湯が似ている?」

「教育部長やってたころ、異業種間の教育担当者交流会があってね。そこに電力会社の教育部長さんも参加していて。彼から聞いたことを思い出したよ」

「どんな?」

「電力の需要には大幅な差ができるのは、高泉さんだって分かるでしょ?」

「寺には電気が来ていないけど、分かるよ、そのぐらいは」

「その大幅の差に、電力会社も苦慮しているとの話だった」

「ふーん・・・」高泉は今一つピンと来ていなかった。高橋さんは話を続けた。

「電気って、需要の時点で、同時に供給しているかたちでしょ。だから、需要量と同等か、それ以上の供給能力が必要だ。なにしろ停電してしまうものね。だから電力会社の社会的責任として、年間のピーク時点を基準に、発電能力を準備しておかなければならない」

「そうか! 星乃湯もピークに合わせてお湯を作る準備をしなくちゃならない。それで、銭湯と電力が似ているというわけかあ」高泉の理解は深まった。しかし、新しい疑問がわいた。

「でも、電力会社は、どうやって消費量の差に対処しているの? その対処法が、もしかして星乃湯の参考にもなるかも?」

「いや、残念ながら、銭湯の参考にはならない」

「そうお? なぜえ?」

「電力会社は、いつくかの発電手段を組み合わせて対応しているから」

「いくつかというと、えー・・・」

「火力、水力、原子力だよ。あと、風力や地熱やソーラー発電なんかもなくはないけど、まだ微々たるものだ」

「そうか。銭湯が水力や原子力を使うなんて、ありえないからな・・・ それにしても異業種の勉強会とは、さすが高橋さん、元・教育部長だけのことはある」

「いやあ、そんなオーバーな。もっとも、来月から、少しだけ『元』を返上するけどね」

「え? 教育部長に復職するの?」

「まさか。実は、教育担当をしていた頃に付き合いのあった講師派遣業の会社から話があって、そこの登録講師になるんだ」

「へえー。じゃあ、また出勤する毎日になるの?」

「いいや。研修を受注した日だけ、送り込まれる格好だよ。登録講師は他に沢山いるし。まあ、私みたいな駆け出しは、補欠要員さ」

「そう。じゃあ、釣り、できるよね」

「もちろん、できるよ」

「あ、よかった」

「で、話を戻せば、電力会社は、消費の大幅な変動に対して、複数の手段を組み合わせて対応している。銭湯では、そうはいかない」

「銭湯は、火力一筋だからな」

「もっとも、複数の火力ボイラーを置いて、必要に応じて稼動台数を増減する・・・。そうした組み合わせの方法も考えられるね。大型の近代設備が一つあれば、こんな遠回りな方法を取る必要もないだろうけど」

「そう言えば、星乃湯のボイラーは何台なんだろう?」

「一台じゃないの、たぶん。複数あるなら、近代設備を導入する資本がなくたって、消費量の差に対処できるだろうし」

「一台ぽっきりか・・・」

<次の章へ続く>

 
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2006年10月20日

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