三十六、人をとりこにするボイラー
「高泉さん、高泉さあーん」
裏小屋で目が覚め本堂に出ると、踊り場に加藤君のお姉さんが立っていた。朝日を背負ったまぶしい姿だった。
「お早ようございます」
「お早うさん。ひょっとして、もう星乃湯について結論が出たの?」
「あ、そちらはまだ途中でして。経過はご報告しますけれど・・・。今朝は、掛け軸をお返しにあがったのです」
まぶしくて気づかなかったが、言われてみると、彼女は円筒のケースを左脇に抱えていた。
「ご苦労さん。で、あの研究者、何かつかめたの?」
「それが残念ながら駄目でした。詳しく調べて下さったのですが・・・」
「ふーん。調査期間が足りないんじゃないの? いくらでも貸し出すよ」
「ええ、無期限貸し出しのことは伝わっているのですが。これ以上預かりたくないそうなのです」
「そう? ふーん。ま、あの人を審査委員に選んだ区のお偉いさんには悪いけどさあ、日本でも一、二の研究者だなんて、当人の誇大宣伝じゃないの」
「いいえ! そんなことはありません! 地味に見えたかもしれませんが、あの先生は、本当にすごい先生なんです!」お姉さんはえらい剣幕となった。
「あっ、そうなの、失礼、失礼。いやあ、ただ本物の研究者ならば、何年も掛けて調査するんじゃないかと思ったからさあ」
「それは本当に失礼な話です。だいだい本件は先生のみならず、所属の研究機関も総力をあげて調査してくれたのですよ。それだけに、先生は連日遅くまで働いたそうです。病気になるかと思うほど打ち込んだそうです。実際、一昨日から長期休暇をお取りになって静養に行かれました」
「ごめんよ、ごめんよ」
姉さんの剣幕はどうにか収まった。そして、研究者が所属する機関から伝え聞いたことを話し出した。
『石掛夫』という、朱印のように見せかけた手書きの偽名は、それ一度きりの名前らしい。あらゆる情報源を当たった結果、そう判断された。
次に、探偵島津から提供された情報を参考に、和紙の製造時期を絞り込んだ。そして昭和二十一年と推定できた。第二次世界戦争直後の大混乱期である。
では、画風はどうかと言えば、かなり古典的である。偽名の朱印を除き墨一色なわけだが、古代中国で描かれたとデタラメを言ったとしても、違和感がないほどだ。
「ふーん。でも、それなら、和紙が製造された昭和二十一年以降に、古風なスタイルで描かれた、と考えればいいんじゃないの?」
「もちろんそう考えることはできるのですが・・・」
「なんにしても、絵なんて各人の感じ方次第だものね。どれ、改めて観てみるか。ちょっと貸してみて」そう言って高泉はケースを受け取り、掛け軸を本堂の板の間に広げた。
「うーむ。これが古典的なのかねえ。むしろ近代的な感じがするけどねえ。加藤さんはどう感じる?」板の間にあがってきたお姉さんへ、高泉は訊いた。
「ええ。今、改めて観てみると、私も近代的、それどころか未来的にすら感じます。とても不思議だわ」
「未来的。ふーむ。言われてみると、そうとも感じられるな。こりゃ妖怪変化だね。あ、いや、適切な表現じゃないな。普遍的と言うべきか・・・。時代を超えてるという意味でね」
「『普遍的』ですか。こうした宗教画に適用するには、論理的すぎる言葉ですね」
「そうかなあ。それでも構わないと思うけどなあ・・・。まあ、これも各人の感じ方次第だけどね。加藤さんの責任範囲内で加藤さんがそう感じるのは一向に構わない。俺の責任範囲内で俺がこう感じるのも一向に構わない。たとえ両者が正反対の感じ方であっても、いずれかが否定されるわけではない。なあーんちゃって」
「あ、それ、背理法ですか?」
「いや。主体の違いによる感じ方の違いを理屈ぽっく肯定しただけで、背理法じゃないよ。でも、よく知ってたねえ」
「ええ。私は受験しませんでしたけど、前回の昇任試験でも出題されたそうだし。たしか高校の授業でも教わったし」
「あれ、高校の授業で背理法、出てきたっけな? 大学で勉強したことは間違いないが。ま、なんにしても、人間の感じ方は、各人の責任範囲内で自由ということさ」高泉は彼女の顔をのぞき込むようにして言った。
「おーい、高泉さんよう。朝から論理学の個人授業やってんのかい?」
いつものように、いつのまにやら探偵島津が来ていた。
「あ、おはようさん。こちら加藤さん、こちら島津さん。覚えている?」
「はい」加藤君のお姉さんは答えた。
「そうだね。一度、帰りがけにお会いしたね」島津も答えた。
「和紙についてのレポート、拝読しました。さすが探偵さんでいらしゃいますね」
「いやあ、あんなレポート、たいしたことない」
「そんなことは、決して。和紙の製造、島津さんのレポートを元にさらに調査したところ、昭和二十一年と分かったのですから」
「私が調べた時点じゃ、そこまで特定できなかった。さすが研究機関だね。とすると、作者も分かったのですか?」
「いいえ」
「え? でも、そこに掛け軸、戻ってきているじゃない?」
「ギブアップだとさ」
「もう? それはずいぶん早いね」
「でも、短い期間ながら、かなり力を入れたみたいだよ。なにしろ、その研究者、静養が必要なほど、過労したらしい」高泉が説明した。
「静養か。うらやましいね。俺なんぞは退職して静養する間もなく、日本を出たり入ったりだからな。できれば、湯河原か箱根あたりで湯にでも浸かって静養したいものだ」
「おっ、湯で思い出した! 島津さん、旧式ボイラーの件、どうだった?」
「期待通りだよ。あのボイラー、今となっては、星乃湯にしかないようだ。希少価値があると言っても、嘘にはならんね」島津は、開襟シャツに羽織った麻の背広の内ポケットから、レポートの入った茶封筒を取り出した。
「いやあ、いつもながら仕事、速いねえ」
「危険が伴う調査じゃなし、ちょろいものさ。ただ、『あそこにしかない』と断定できるわけじゃない。『あそこにしかないであろう』という推測だ。日本中の銭湯を全件調査したわけじゃないからな」
「そうだね。ちなみに、『今となっては』と言ったのは?」
「昔は、いくつかの銭湯が同じ物を設置していたようだ。まあ、メーカーにしてみれば、一台きりじゃ商売にならないから、複数の銭湯へ売っていて当然のことだけどね」
「そりゃ、そうだよね」
「昔は、石炭や木のボイラーだったが、石炭のほうは木よりも先に廃れちまった。国内の炭鉱がどんどん閉鎖されたしね。で、その後、しばらくの間、木のメーカーが残り複数、競合していた。さらに、石油そしてガスへと移行できたメーカーもあったが、できなかったメーカーもあった。移行できなかったメーカーはそのまま先細りし、最後は廃業しちまった。だが、この時期、あえて木のボイラーを開始したメーカーがあってな。それが星乃湯の旧式ボイラーの製造者だ」
「じゃあ、すぐ廃業になったの?」
「いや、少しは粘った。というのもな、そのメーカー、職人が集まって結成したギルドみたいな経営形態でな」
「ほう。でも、なぜ、そうした経営形態が粘りにつながるの?」
「収益性を強く求められなかったらしい。それに、年配の職人ならではの徹底した設計方針があった。それが購買層を維持できたんだろうよ。ほら、レポートにも書いておいたけど・・・」
島津は茶封筒からレポートを取り出した。A4三枚びっしり記載されていた。
「そら二枚目の中段あたりに書いておいたが・・・」
島津はレポートをめくって示した。そこには設計の方針として「簡素な構造と汎用部品の採用で、維持管理の手間を最小にし、製品の寿命を長くする」と書かれていた。
「加えてな、販売の方針として、販売は商社に全て任せ、営業マンは一切置かない。さらにな、購入者には自分で維持管理するための技術講習を義務づけ、修了者には免状を出す。自分たちの機械を購入し運転する人間には技術を持ってもらおうというわけさ。今風に言えば、メンテナンスマンの資格だ」
「メンテナンスマンの資格だなんて、なんか難しそうだなあ」
「それがな、簡素な構造という設計方針が実現したため、資格取得はさほど難しくなかったそうだ」
「ふーん。ということは、星乃湯の先代、購入時にその資格を取得したのだろうか?」
「なんだ。先代の資格証書のこと、聞いてなかったのか。あいかわらず、のんきだな。人へ依頼する前にそのぐらい知っておけよ。今回、調査がすぐできたのも、先代の資格証明書が残っていたからだ。それがなかったら、もうちっと時間が必要だったろうよ」
「わるいわるい。で、わるいついでに確認しちゃうけど、資格の証明書は先代だけ?」
「そうだよ。他界する前日まで、先代自らメンテナンスを担当してたらしいからね」
「へえー。先代は結構高齢だったんだろ? きつかったんじゃないのかなあ・・・」
「かもね。だが、星乃湯が言うには、経営をバトンタッチしてから老けこむ一方の先代も、メンテナンスだけは自分でやりたがったそうだ。少年が模型を組み立てる時のように、眼を輝かしてたとさ」
「大丈夫だったのかいな、そんな感覚でボイラーをいじって」
「その点にこそ、製造者の職人芸が発揮されたようだ。つまり、買った人間が、あまり難しくなく、しかも、いじるのが面白くなるようにできていたわけさ」
「ふーん、なんだか面白そうだね。いや、なに、俺は資格取るなんて面倒だから勘弁だけど・・・。あれ? でも、資格の証明書は先代だったよね」
「先代が生きているうちに引き継いだんだとさ。メーカーはそれ以前に解散したし」
「結局は解散かあ。だけど、それでもいいように設計されていた、というわけか。なんだかすごい企業方針だなあ」
「いや、だから俺は、企業と言うよりも・・・」
「職人が結成したギルドみたい、とおっしゃったのですね」島津の言葉を引き取って加藤君のお姉さんが言った。
「とても興味深いお話ですね。星乃湯さんの件、文化的な面もさることながら、環境的な側面もあるようにも思えてきました」
「物をなるべく長く使うという意味においてかい?」高泉は訊いた。
「そうですね。あと、廃木材の有効利用の道を、改めて考え直す。そのシンボルという意味でも。もっとも、有害物質を一切出さないという前提になりますけど」
「ふむ。これで次のステップに進めるな。あんがとさん」高泉は島津へ礼を言った。
「どういたしまして。で、ほら。これ、次のステップ」そう言って島津はまた茶封筒から紙を一枚取り出し、高泉へ渡した。
「あらま、進めておいてくれたんだ」紙を広げた高泉は嬉しそうに驚いた。
「次のステップといいますと?」加藤君のお姉さんが口にした。
「あの設備から有害物質が出ないよう、改造してくれる会社を探すこと」高泉が応じた。
「ついでだったからね。事情を話し、仮の話として、打診もしておいたよ。左端に丸印を付けておいた会社がそうだ」島津は付け加えた。
「いつも悪いねえ」
「いいさ。そのうち大きな山でも当てるからよ」
「ほんじゃ。次回はハゼの醤油焼きに加えて、フッコの刺身も出せるように、釣り、頑張るからね」
「ああ、ありがとう。口を血だらけにしないよう気をつけて食うさ」
「おいおい、やめてくれよ。あん時の話持ち出すのは・・・」高泉は頭を掻いた。
「あのー、なんですか? そのお話?」お姉さんは真顔で訊いた。
島津が、斉藤少年事件について話した。寺に足を運ぶようになってから初めて、彼女は笑いこけた。その声は、ようやく涼しくなってきた秋の境内に、小鳥の声と一緒に響き渡った。
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