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「寺と風呂屋と謎の観音」  フリーWebカレッジ  蒔苗昌彦


四十、デフォルメ

「あー、高橋さん。そろそろ諦めない?」

「もうちょっと粘ってみようよ。水位が下がり始めたけど、まだ充分高いから」

「あー、水位が下がり始めたということは、潮が引き始めているということだよね」

「うん」

「あー、ということは、たとえカレイが汽水に乗って迷い込んできたとしても、汽水と共に去ってしまうということだよね」

「うん。でも、せっかくだから・・・。何か約束があるの?」

「あー、もう少し先だけど、来客が」

「わかった。やめた、やめた。やめたぞ。うーむ。これぞ見切り千両だ!」

 駄目もとで初挑戦したカレイ釣り。高橋さんはついにあきらめた。

(一匹も釣れなかったのに、見切り千両だなんて・・・。よっぽど悔しかったのかな?) 

 そう思った高泉は励ましてあげることにした。

「よかったら、寺で残念会しようよ」

「残念会? 残念と思うことは一切ない。この仕掛けがカレイに通用しないことが消去法にて確認されたのだから、一歩大きく前進。だから、残念会でなく前進会にしよう!」

(あ、やっぱり悔しかったんだ)

 高泉は頭の中でつぶやき、片付けを始めた。

「でも、来客のほうは構わないの?」高橋さんも道具の片付けを始めた。

「うん。加藤君のお姉さんだし、すぐには来ないし。それまで残念会、あ、ごめん前進会をやってようよ。高橋さんも彼女に会ってから帰ればいいじゃない。それに、先日、西山隊員がスコッチウイスキーを届けてくれてね。とても旨かったから、高橋さんと島津のぶん、取っておいてあるんだ。それを味見していってよ」

「おっ、いいねえ。じゃ、島津さんも来れるかどうか、携帯、掛けてみるか」

 定年を契機に持つのをやめた携帯電話。講師業を始めてから再び持つことにした高橋さんが、島津へコールした。島津の携帯は留守番サービスに切り替わっていたようで、高橋さんは宴会開始のメッセージを入れた。

「ところで、スコッチくれた西山さんって、お向かいの消防署の人?」

「そうだよ。高橋さんは西山隊員に会ったことなかったっけ?」

「会ったことないよ。話は聞いたことあるけど。彼が自腹でスコッチ買ってくれたのかい? 斉藤少年の事件で腕をねじあげたお詫びにしては、ずいぶん遅いね」

「いや、署員の親睦会からの差し入れだ。勤務明けに星乃湯に行くのが楽しみな人が結構いるんだとさ」

「そういえば、坂上部屋との打ち合わせ、はかどったかい?」

「うん。境内に小さな土俵こしらえて、相撲大会と餅つき大会をすることになった。消防署の親睦会も手伝ってくれるかもしれない」

「へえー、じゃ、私も、ワイフを連れて手伝いに来るよ」

「ありがとさん。商店街が境内と門前の歩道に露店を出すから、そっちのほう何か手伝ってちょうだい」

「へえー、神社のお祭りみたいじゃない。イカの丸焼きとかヤツメウナギの蒲焼とかの露店を出したら本格的になるねえ」

「ヤツメウナギは聞いてないけど、イカの丸焼きは計画しているみたいだよ。魚屋が言ってた」

「そういえば、今日は、おつまみの魚がないねえ」

 つまみなしに飲めない高橋さんが、道具を入れたバックを肩に掛けながら言った。

「先週もらった魚があるよ」

 高泉もバックを肩に掛け、二人は寺に向かって歩き始めた。

「え? お寺、冷蔵庫ないんだから、腐っちゃうじゃない」

「大丈夫。干物だから」

「魚屋さんがくれたんだね。たいそう親しくなったんだろう?」

「うん。でも、干物は乾物屋がくれたんだ」

「へえー、昔のお坊さんみたいな感じだね。金をもらわなくても、地元から色々な物をもらうあたりが。ありがたいでしょ」

「うーん、実にありがたいのだけど・・・」高泉は口ごもった。

「そのぶん、星乃湯の運動が成功しなかったらどうしよう、というわけか」高泉の心配を察した高橋さんが言葉を引き取った。

「ま、今のところ、区の加藤さんが頑張ってくれているんだから。朗報を待とうよ。心配しても始まらないし。あ。あれ、彼女じゃない?」

 のんびりと歩いてきた二人が門前に辿りつくと、本堂の踊り場に斜めに座り、堂内に視線を置いている加藤君のお姉さんが見えた。

「加藤さん、ごめん。俺、時間間違えたかな」本堂に近づきながら高泉は言った。

「いいえ。私のほうが早く着いたのです。すみません」彼女は立ち上がった。

「あ、こちら、高橋さん。覚えている?」

「はい。お久しぶりです」お姉さんはうなづきながら高橋さんへ軽い挨拶をした。

「星乃湯の件、今日の定例会議でこそ、結論が出ると思っていたのですが。ごめんなさい。観光課長にも応援してもらい、さらに環境課長を説得してみます。もう少し時間を下さい」

「ほんとにありがとう。引き続きよろしくね。でも、次回の報告は、結論が出た後でもいいよ。ま、可にしても不可にしても、構図は充分見えたし。疑問点も全部クリアしたから。あとは、区の最終判断を待つのみだ。ま、人事を尽くして天命を待つというやつさ」

「ええ。で、掛け軸の件のほうですが・・・」

「あれ、掛け軸の件、諦めたんじゃないの?」高橋さんがつい声を出してしまった。

「いや、それがね、高橋さん。俺が病院の資料から、奇妙な情報をみつけたんだよ」

「え? 病院から掛け軸の情報が出てきたの?」

「いや、正確には、ちょっと違うんだ。寄付帳で、癖のある署名をみつけた話、しなかったけ?」

「資料整理のことは聞いたけど、その話は聞いていないよ」高橋さんは答えた。

「実は、その癖字で書かれた住所が、崩落寺と同じ住所でね。掛け軸の和紙が製造された年度と、寄付された年度も、同じだし」

「ふーむ。住所と年度が同じだから、その人が掛け軸の作者かも、と思ったわけか。えーと、高泉さんから教わった論理学の中の、類比推理とか言っていた方法で推理したわけだね?」

「まあね。で、昔の住民記録を調べてもらえないかと思って、加藤さんに相談したんだ」

「だけど、当時も、住職はいなかったんだよね、たしか」

「ああ」

「なら、崩落寺の住所を勝手に借りること、掛け軸の作者だけじゃなくて、他の人もできそうじゃない?」高橋さんが指摘した。

「そうだね。だが、仮にそうだしても、その勝手に借りた人が、掛け軸の作者である可能性は排除できないよね」

「あ、そうか。えーと、これも高泉さんから教わった論理学で確認できるかな? ちょっと、図式でも書いてみるか・・・」高橋さんは土が露出している地面を見つけてしゃがんだ。

「で、加藤さん。何かわかった?」高泉は訊いた。

「いいえ。特に、分かりませんでした。山田太郎という人は、区内に多くいたことは分かりましたけど。崩落寺に住んでいたわけではありませんでした」

「ほう。病院に残されていた名前、山田太郎というんだね?」しゃがんでいた高橋さんが立ち上がって言った。

「やはり、これも偽名なのかしら?」お姉さんが疑問を示した。

「ふーむ。それにしても、その山田太郎を掛け軸作者と判定するには、もう一押しする要素ないとねえ」高橋さんには今一つ足りないようだった。

「まあ、俺の心象でしかないんだけど。朱印に似せて描いた石掛夫の字。あれと、病院の寄付帳の字。共通点がある感じがしてね」高泉が言った。

「ええ、私もそんな感じがします」彼女はショルダーバックの中から寄付帳のコピーを取り出しながら言った。

「へえー。二人とも? それなら、最後の一押しになるかもしれないねえ。私は、石掛夫の朱印、ずいぶん前に一回見たきりだから」

「じゃ、高橋さん、もう一度見てみれば」

「そうだね」

 高橋さんは靴を脱ぎ、本堂の中に入った。お姉さんも続いた。

「コピー、見せてくれます?」

 彼女は寄付帳のコピーを高橋さんへ渡した。

「うーん、そう言われてみれば、似ている感じもしなくないけど。朱印、デフォルメされ過ぎているからなあ」高橋さんが言った。

「デフォルメと言えば、寄付帳の字が、そもそもデフォルメされたような癖のある字じゃない?」高泉は、デフォルメという概念でいったん共通化された点を前提に、自分の感じ方に妥当性を与えようと試みた。

「そう言われてみると、寄付帳の字もたいそうデフォルメされている。うちの娘も、高校生の時、こんな感じの丸っこいデフォルメをしていた。あ、でも、山田太郎というと、男性だね」

「高泉さんも高橋さんも指摘の通り、寄付帳の筆跡、丸くデフォルメされてますが、私には、女性の字に見えません。この力強いタッチが、なんとも男性的です」お姉さんはきっぱり言った。

「いや、私も『丸い』『デフォルメ』という二つの概念が共通してると言っただけ。寄付帳の山田太郎が女性だと言ってるわけじゃない」高橋さんは補足した。

「そのあたり、やっぱ刑事か探偵のテリトリーだね。俺たちには、難しいな」

「おっ、そうだ。さっきは留守電だったけど、もう一度、掛けてみよう」高橋さんは島津へ再び携帯してみた。

「あ、島津さん。高橋です」今度はつながった。

「島津さん、もう近くまで来ているんだって。すぐ着くそうだ」携帯を切った高橋さんが言った。

「元刑事の島津探偵がどう考えるか、楽しみだね。加藤さんも、探偵の到着、待たない?」高橋さんは上気して言った。

「はい、是非」

「でも、役所に帰る時間、まだ大丈夫なの?」高泉が確認した。

「直帰として外出しましたから、大丈夫です。どのみち、急な用件があれば、携帯に掛かってきますし」

「直帰かあ。サラリーマン時代に、ちょくちょく直行直帰したことを思いだすなあ」

「そういえば、高泉さんがどんな会社で働いていたか、聞いたことがなかったね」

「苦労して就職したのにすぐ倒産しちまった会社だ。話してもしょうがないよ。おっ、島津さん。待ってたぜ」

 夕陽を浴びながら探偵島津が門から入ってきた。

<次の章へ続く>

 
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2006年10月20日

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