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人道問題小説「お砂糖」  蒔苗昌彦


【九】

 諸説ある中、砂糖きびの原生地はインドネシア。初めて砂糖を精製し食したのはインド人。との説が有力だそうです。

 

 一八四二年 アヘン戦争の結果、英、南京条約により、清から香港を強制的に借款。

 

 ありがどごす。きつけていげへやー。

(本当に色々とありがとう。気をつけて帰って下さいね)

 わいのほうごそありがどごす。おぐさんもけぱてけへやー。

(こちらこそお世話になりました。奥様もがんばって下さい)

 

「獄さん、いよいよ明日、退院ですね。おめでとう」

「おう」

「明日から夜勤に入るから、立ち会えないけど、お元気でね」

「ああ。色々世話してくれて、ありがと」

「わたしも、普段聞けないような難しい話、聞けてよかったわ」

「そう。ほんじゃ、一つご褒美までにと……」

「ダメダメ! いい子にしてなさい! たつ鳥あとを濁さず、というでしょ」

「ハイハイ、わかった、わかった。再発で戻ってきた時のお楽しみにしておくよ」

「そんな弱気じゃダメよ、獄さん。リハビリ頑張って、普通の生活に戻って下さい!」

「はーい!」

 

 あーむー。んあーむー……、チーン。

「夕陽もずいぶん西に寄ってきたのう」

祈りを終えた和尚は焚き火ごしに、Kと田中へ語り掛けた。

「ええ」Kが応えた。

「ところで、和尚はどう考えますか?」田中が聞いた。

「恐ろしい現実から目を背けるということについてかね」

「そうです」

「背けるもよし。背けないのもよし。各人次第じゃ。どのみち、人は全ての出来事に目を通すことはかなわぬだけに、なおさらな」

「うーむ……」

「お気に召さないかの? 田中さん」

「いや、そういうわけじゃなく……」

「なるべく背けないよう努力すべき、と思ってるんじゃろ?」

「え? なんで判るでんすか?」

「顔に書いてあるわい」

「ほんとうに?」

「ウソじゃ、ははは」

「あれ、和尚も人が悪いなあ……」

「誰でも『なるべく背けないよう努力すべき』と一度は思うはず。じゃから、当てずっぽうに言ってみただけじゃ」

「『誰でも』ということは、和尚も?」

「ああ。一度ならず、幾度もな」

「なのに結論は、『背けるもよし・背けないのもよし』と?」

「ああ。背けたら気が楽じゃ。が、背けた分だけ偏狭になる」

「ならば、『なるべく背けないよう努力する』という結論にしては?」

「その努力自体は貴いが、しょせん井の中の蛙。それに、恐ろしい事ばかりに目を向けていては、この世は地獄にしか見えなくなってしまう。心は疲れ、病にも陥る。だから、本人が置かれた状況や立場も含め、各人次第。そのように、わしは決め込んだわけじゃ。御仏の許しもなく自分勝手にな」

「そうはいっても、然るべき地位にいる人は『見ざる・聞かざる』『知らぬ・存ぜぬ』では困るでしょう?」

「いや、全知全能となった錯覚に囚われるほうが、よほど困るわな。ま、『無知の知』という戒め、高い位置にいる者ほど強く意識すべきじゃ」

「ソクラテスの言葉ですね……」口数が少なくなってきたKがポツリと言った。

「ともかく、人は全ての出来事に目を通せん。どのような断面でこの世を見るかは、各人次第。どうじゃ、田中さん。問答はこれでいいかの?」

「ええ、まあ……」

「なんじゃ、すっきりせんのう。ほれ、ますます綺麗になってきたぞい。西方に極楽浄土があると信じ、心を安らかになされ。ま、とりあえず、今、ここではな」

 三月に入り日没時刻はますます遅くなる。焚き木を囲んで眺める夕焼けは、いつまでも続くかのようであった。

 

「お疲れさまでした!」

「お疲れさまー」

新企画、虫歯予防相談会は今日で終わり。コミ健はじまって以来の賑わい。大成功である。

「本当にご苦労さまでした!」

高橋所長も玄関ホールの片付けを始めるスタッフ一人ひとりに深く感謝して回った。

「アンケートの集計は、いつまでに?」

集計を担当するスタッフが、所長へ確認した。

「週明けでも結構ですよ」

「私も手伝いに行くわ。だから、早いこと済ましてしまいましょ」西村が集計担当者へ声を掛けた。

「ありがとう、西村さん。ケーキ作って、待ってるわね」

「じゃ、ダイエット相談会のためにも、ケーキ食べて景気つけようっーと」西村は受けを狙った。

「あら、いいわね。わたしもケーキ目当てにお手伝いにいきたーい」

「わたしも!」

「私も!」

 テーブルや椅子をたたんだり、壁に貼った手作りポスターを剥がしながら、玄関ホールにはスタッフたちの明るい声が反射した。

<次章へ続く>

 
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小説中に登場する人物・団体・施設・出来事等は全て架空(フィクション)です。

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